ダブルスタンダードを突いてごめんね(仮タイトル)

こんばんわ。ずとふ○です。

「最近ブログを更新しすぎだろ!」と思われるかもしれません。

その通りです。興味深い出来事が起こった時、私はそれをできるだけ言語化しようとします。なぜ言語化しようとするかというと、言語化しないとそれが記憶に残らないからです。その時の情報と感情を『できるだけ正確に』残しておきたいのですね。

人と動物では、過去の記憶の残り方が全然違います。それは人間が高度に言語を操れる種であり、さらに文字にして残すという記録方法を発明したからです。

逆に言えば、『文字にして残す』ということをしなければ、2つある武器の1つを手放しているようなもので、過去の振り返りが動物レベルにどんどん雑になっていきます。

たとえば、彼氏/彼女と別れたとき、過去の思い出を美化する人もいれば、なぜあんな人と付き合っていたのか分からないと不満たらたらな人の2パターンに結構分かれると思います。

どちらの人も過去の記憶を雑に扱っています。いい思い出だけを取り出したり、悪い思い出だけを取り出したりしています。

でも実際は、いい思い出も、悪い思い出も両方あったはずです。どちらかを極端に取り出していては、自分の都合のいいようにしかモノゴトを考えられない残念な人になっちゃうのですな。

仮に付き合っていた時に日記をつけていたとすれば、ある程度はフェアに思い出を振り返ることができるでしょう。こーゆー部分はよかったな、こーゆー部分は意見が合わなかったな、とかね。

(ふと気になったのですが、過去の記憶って、腹痛が痛い、みたいな変な表現ですかね?)

ってことで、今回の本題の『怒り』についてちょっと書いていきたいなと思います。

いい歳になっちゃうと、あんまり怒れなくなりますよね?

怒る姿がダサいってのもそうだし、感情のコントロールがうまくなるのもそうだし、怒ったところで解決することはほとんどないってことが経験として分かってくるからなのか、まぁなんにせよ怒りが爆発するなんてことはほぼなくなります。

であれば、どういった時にブチギレちゃうのかなーというのが気になるところ。愛するなにかが他人によって傷つけられたりしたらそりゃブチギレると思うけど、自分縛りで考えるとなかなか難しかったりします。

そんな疑問に答えてくれる事件が最近起こりました。

サークルのオープンチャットにAさんBさんが何人か招待してくれたんだけれど、無言系の人が多かったのでその人たちを強制退会させたら、AさんBさんが怒っちゃったって話です。(>オープンチャットを強制退会させられた人へ

なんでこんなに怒ってるんだろう、なんでそんな言葉を使うのだろう、というのが気になっていました。冷静そうに見えて、スマホの向こう側ではブチギレてるんだろうなぁというのが容易に想像がつくのですよ。

そりゃ身内がラインのオープンチャットから強制退会させられたら気持ちのいいものではないでしょう。でもそれは強制退会を選んだこちらも一緒です。好きでやったわけではありません。サークルの秩序を守るためには、複数名の無言系の不気味な人たちには出ていってもらうしかないのです。(>悪意なきサークルクラッシャーのケーススタディ

AさんBさんも自分のバドミントンサークルを持ち運営している側なので、『複数名の無言系』がいかにサークルに負の影響を与えるのかは分かっているのだろうと思っていました。

だからこそ、自分達が連れてきた無言系を注意しなかったことが疑問でしたし、私が無言系を強制退会させたことにそこまで腹を立てるのかが理解できませんでした。

でもその理由がなんとなく分かってきました。

ある日、AさんBさんの片方からそー○に連絡が届きました。簡潔に書くと、「ホームページで自分達が関わっているところは削除してね。身元が分かるなんて論外だから。そうしないと、募集元に通報、水島体育館の管理元の市に問い合わせるよ」と。

おー、なかなか過激ですねぇ。

でも身元が分かるような情報出してないよなー。たしかに、AさんBさんが運営しているサークルへのリンク(ジモ○ィーとスポー○やろうよ!)を貼っていたなーとは思いますが、そちらでも住所や本名を出してないんだから身元バレるかな?とか、通報や問い合わせされても管理元の市にできることないからそこで働いている人たち困るよなー(法律違反ではない限り、公的な立場が個人の自由な活動を制限させるの無理)とか、「自分の考えを自由に書くとかリンクを貼る」というネット文化の基本が否定されてるなーとか、そもそもこのホームページにそんな影響力ないよなーとか思いながら、私の考えでサークルにこれ以上迷惑をかけてしまっては悪いと感じ、内容を訂正しました。(そー○にもお願いされました)

で、内容を訂正するときについでにAさんBさんのサークルのリンクを踏んで、AさんBさんが運営しているサークルの紹介文を読んでみました。そこでAさんBさんが怒る理由がなんとなくわかってきました。

AさんBさんのサークルの紹介文ではこのようなことが書かれていました↓

  • こんな人を探しています:コミュニケーションを大切にされる方
  • 参加条件:最低限のマナーを守れる方

なるほどな…。

私はAさんBさんが連れてきた『返事をしない人』を強制退会させました。言い換えれば、コミュニケーションを大切にしない人、最低限のマナーを守れない人を強制退会させました。

私がした強制退会という行為はつまり、AさんBさんのダブルスタンダードを突いてしまっていたのです。

ダブルスタンダードとは、たとえば、『部活動で生徒に暴力を振るうのはダメだ!と言いつつ、家では自分の子供に暴力を振るってる』とか、『女性差別反対!とか言いながら、家では家事は女性がやるものだと言ってる』などのことです。

ようは基準がブレちゃって、公平性がないことなんですよね。よくあるのが「自分の身内は例外!」的なやつです。

人は基本的に「自分は公平な人間である!」と思っています。私だってそうです。だからこそ、ダブルスタンダードを突かれたら、めちゃくちゃイラッとするんですよね。言い訳のしようがないからね。

ダブルスタンダードという概念を理解している人ならば、「そこダブルスタンダードだよ」と突かれても、「私は不公平な人間である!」と開き直れたり、「あー、やっちまった。本当ですね…私が間違っていました」と反省できたりします。

でも、ダブルスタンダードの概念を知らない方は怒りの原因が分からず、行き場のない怒りが身体中を駆け巡ることでしょう。

たとえば、勉強も運動もしてないお父さんが子どもに向かって「勉強しろよ!運動しろよ!」とか言っちゃってると思いますが、それに対して「あれー?お父さんは勉強も運動もやってませんよねー?そんなこと言える立場なんですかー?」とか子どもが言おうもんならお父さんブチギレです。言い訳のできないお父さんが捻り出す言葉は、「親の言うことを聞け!」とか「誰が育ててやってると思ってんだ!」とか「ガキが口答えするな!」とかでしょう。賢いお父さんだったら「あ、子どもの言う通りや。ワイ、ダブルスタンダードやってもうた。これから毎日食事の勉強と運動してとりあえず腹をひっこめるわ!」って反省できるでしょうけど、賢くないと怒りに身を任せるしかありません。

これと似たようなことがAさんBさんに起こってしまったと推察します。

自分達は「コミュニケーションを大切にされる方、最低限のマナーを守れる方をサークルに求めています!」と言いつつ、自分達が他のサークルにお邪魔しているときはコミュニケーションを大切にせず、最低限のマナーも守れていませんでした。

私は無自覚にそのダブルスタンダードを突いてしまいました。コミュニケーションを大切にしてなく、最低限のマナーを守れていない人たちを強制退会させてしまったのです。

AさんBさんにとってそれは受け入れ難いものだったでしょう。

自分達がコミュニケーション大事!マナー大事!と標榜しているにもかかわらず、それができていなかった。そこを突かれてしまったけれど、それを認めたら「自分達は公平ではない!」ということになってしまう。それは嫌だ。

じゃ、どうするか。

イヤ、俺たちは最低限はできてたんだ!前もって注意とかせずに強制退会させるずとふ○の頭がおかしいんだ!

と、私の行為を否定したり、私を頭おかしいやつ呼ばわりすることで、自分を守ることができます。失敗したという黒歴史の記録(ホームページなど)を削除させることで、さらに自分達の心理的安全性を確保することができます。

ふーむ。

これは社会心理学用語でいう『認知的不協和』というのに陥っているのではないかと思います。

なんじゃそれ?ってなるかもしれませんが、認知的不協和の有名な例がイソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の話です。

木の上にある葡萄を食べたいけれど届かないから、「あの葡萄は酸っぱいに違いない!だから食べない方がいいんだ!」とキツネさんが自分を納得させる話です。たぶん聞いたことがあると思います。

これをもうちょっと難しい言葉で説明しますと、自分が認知していることと、事実が食い違った場合、人は事実の方を歪めて認知してしまうのです。軽く書いてますけど、これは知っておいて損はない話です。

普通は、自分が思ってることと事実が食い違った場合、「あちゃー自分の思ってること間違ってたわ。そりゃ事実の方が正しいだろ!」って思いますよねっていうか、思わないといけませんよね?でも訓練されてない限り、人は事実の方を歪めて、自分が元から思っていたことを正しいとします。

へー、そうなんだ!でも自分はそんなことしません!自分は大丈夫です!って思いたい気持ちも分かりますが、『認知的不協和』って言葉をいままで知らなかったのであれば、たぶん大丈夫じゃありません笑。どっかでやっちまってると思います。

近年の例で言うと、コロナ禍で多くの人が認知的不協和に陥りました。コロナの初期は、未知のウィルスなので警戒を強めるのは正解でした。でも、ウィルスの特性が分かってきた、リスクが分かってきた、ワクチンもできたしワクチンの有効性も確認できた。コロナについての新事実がどんどん分かってきました。

それなのに、いまだにコロナ脳の人やら、ロックダウン脳の人やら、反ワクチン脳の人やらはたくさんいます。彼らは出てきている事実をガンガンに歪めていってしまいます。素人ならまだしも、自称専門家の人たちも間違えまくっていたりします。認知的不協和ってそれほどにやっかいなのですよね。

私は、AさんBさんが認知的不協和に陥り、自分達の都合のいいように事実を歪めていっていると思っています。

でもそれは逆も然りであり、私が認知的不協和に陥り、自分の都合のいいように事実を歪めている可能性も十分にあります。

これは当事者であれば、避けることができない人間の心理なのです。

ですから、この前書いたからってぃんさんのような人がすごーく重要になってきます。(>からってぃんさんへ

そしてまた、私は強制退会をする決断に至ったとき、サークルのメンバーにも、そしてそー◯にもほとんど相談はしませんでした。なぜなら『私が歪めて認知した情報をサークルメンバーに提供し、サークルメンバーが私の意見に染まることを避けたかった』からです。

このホームページでは、コメント欄やお問合せフォームを設置しています。この件の当事者ではなく、認知的不協和にあまり影響されていない皆様の、忌憚ない意見をお待ちしております。

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