こんばんは。ずとふ○です。
前回の質問に引き続いて、今回は「なんでブログにそんなこと書いてんの?」という質問に答えていきたいと思います。
連絡がくる前に書いちゃった記事では、「興味深い出来事があったら、それを言語化しようとする」ということを書いていました。人間の記憶ってポンコツなので、早いうちになにかで記録しておかないと時間が経てば経つほど自分の都合のいいように過去を改竄したりするんですわな。それを避けるためにも、ブログに残しておきましたよっていうのが前の記事です。
んで、今回はまた違った意味で、ブログに書き残している理由を書いていきます。
たぶん質問してくれた方は、「そんなネチネチしたことをいつまでも書いてんじゃねーよ!」と思われているのかもしれません。
その通りと言えるかもしれません。でも私は、ネチネチしたものでも書き残すってことに意味があると思っています。
話はぶっ飛んでしまうのですが、いま、ウクライナとロシアでは戦争が起こっていますよね。
ウクライナとロシアから遠く離れた日本にいる私たちでも、ウクライナの凄惨たる現状が分かっていたりします。その理由は、ジャーナリストが命懸けて映像などを記録しているからです。ジャーナリストがいなければ、まったくわからないままです。ジャーナリストに向かって「命かけてまで、そんな記録してんじゃねーよ」とは誰も言わないと思います。
では、ジャーナリストがいるからと言って、ウクライナの現状がすべてわかるかというとそんなことありません。ウクライナの東部、ほんとうに壮絶な戦いが繰り広げられているところは、あまりにも危険すぎてジャーナリストですら立ち入ることができません。
そしてそんな環境では当然のことながらインフラが止まっています。水なし、電気なしです。電気がないということは、スマホの充電もできません。現代人からすると考えられないような環境で、地下に避難させられて生活している人がいます。
ではそこで生活させられている人が、自分達の悲惨な現状を記録するための方法はなにがあるのかというと、超アナログの紙とペンです。紙とペンで、記録していくしかありません。
戦争の悲惨さをもっとも知る人たちが、それを後世に伝えていくためには紙とペンしかないんですよ。そして私たちは紙とペンで記録されたものによって、戦争のもっとも過酷な状況を戦争が終わった後に知ることになります。
当然そんな記録はロシア側からすれば、「一方的だ!脚色だ!」と切り捨てたいものでしょう。確かにその記録は一方的であり、脚色されているかもしれません。だからと言って切り捨てるわけにはいきません。歴史からするととても重要な資料なのです。
で、もちろんこの話をたかがサークルのいざこざと比べるわけにはいきませんが、「記録して残す」っていうのは重要なんですよね。
「じゃあそれ日記でいいじゃん?ブログで公開する意味ないじゃん?」と思われるかもしれません。
それもその通りっちゃその通りです。でも、公開する意味があるなーと思っていて、その理由は私が人を信じようとしているからだと思います。
強制退会された人、その行為が嫌だった人とは、いまは分かりあうことができていませんが、数年後くらいになれば納得はできないかもしれないけど、理解はしてくれるんじゃないかなーと思っています。
彼らがサークルを運営する側になった時、会社で部下を持つようになった時、家族ができた時などなど、自分が率いていく立場になり『返事しない人たちがいたら困る』というのを実感した時に、「あぁ、あいつもこういう気持ちだったのかな」と分かってもらえるんじゃないかなーと。
「それでもやっぱりオレは強制退会なんてさせないよ!」と考える人もいるでしょう。私がしたことに納得はしてもらえないかもしれません。でも、ある一定の理解はしてくれるんじゃないかなーと。
で、そういう時に、記録として残していたブログが役に立つ可能性があるんじゃないかと思っています。「こーゆーことだったのね」とか「やっぱりおかしいね」とか、記録があるからこそ振り返られたり、再検証できることってあるんです。
また、ブログに書き残すという意味は、このサークルに所属している人たちに向けてのメッセージでもあります。メッセージをどのように受け取られるかは分からないのですが、私としては、「いずれサークルを率いる立場になるかもしれないんだから、他人事としては考えないようにね」というメッセージがあったりします。
いずれ私はいなくなります。私がいなくなってもほぼ問題ないでしょう。サークルの実務とはほぼ関係ない人間ですから。
サークルの予約とか集金をしているそー○もいついなくなるか分かりません。他県に引っ越すかもしれない、病気になるかもしれない、親の介護が必要になるかもしれない、そして一番ありそうなことがアキレス腱を切って運動ができなくなることでしょうか。
なんにせよバトンタッチがいつ起きるか分からないですし、いつかは必ずバトンタッチはあります。「そー○がいなくなるんなら解散解散!他のサークルに行きまーす!」というのも1つの手でしょうし、「せっかく縁ができたんだし、もう少し自分達で続けてみよう!」という人もいるかもしれません。
仮にバトンタッチを受け継いだ人がいたとして、その人もやはりどこかのタイミングで人間関係で悩むことがあるでしょう。そんなときに、もしかしたらこのブログが役に立つかもしれません。失敗例としてw
「解散解散!」の人たちが他サークルに行った場合でも、「返事は大事だとか前のサークルのやつが言ってたな」ということを思い出してもらえると、他サークルの運営者が助かると思います。そうなればブログを書いた意味があります。
ま、そんないろいろな考えもあり、ネチネチしたブログを書いていたりしました。
サークルの紹介文を読んて、私のことを「おもしろいことを書く、変態おじさん」くらいに思っていた人が多いかもしれませんが、私としてはネチネチ側が本質の人間です。
おもしろい紹介文を書いたってあんまり心にも残らないだろうし、人になにかを考えさせるってことはないと思うんです。
逆に、こういうネチネチの文章というのはおもしろいものではありませんが、人になにかを考えさせることがあるんじゃないかなーと思っています。たぶんそれは数字上に出ています。
データサイエンティストの側面を持つ私は、データを見るのが好きだったりします。この1週間のサイトのデータを見てみました(4月16日から4月22日まで)↓
一番右側の『平均エンゲージ』と書かれてあるところをざっくり説明すると、『そのページが読まれた平均時間』を示すものです。
これを見るとですね、この1週間で書いた記事が1分以上は読まれていることが分かります。あくまで平均なので5秒で閉じた人もいるでしょうし、5分以上読んでくれた人もいるでしょう。
ここから分かることは、ネチネチした文章でも読んでくれる人は読んでくれるってことです。そしてこういうネチネチした文章は、相手の感情になんらかの影響を与えると思っています。言い方を変えれば、なにかしらを考えさせると思うんです。それがプラスなのかマイナスなのかは全然分からないのですが、読んでくれた人がなにかを考えてくれるのであれば、私としてはすごく嬉しいんですよね。
ここしばらく、毎日1時間以上はパソコンのキーボードをカタカタと叩いていました。それも今日で終わりにします。この件について書きたいことは書きましたし、質問っぽいのにも答えました。
しばらくは眠ります。グッドナイト。
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