サークルは会社/学校/部活的なものなのかのケーススタディ

*ケーススタディとかカッコつけてますが、そんなたいそうなものではありません。

こんばんわ。ずとふ○です。

サークル運営に関わっているとなにかと気がつかされることがあったりしましてとても勉強になります。今回もその1例を紹介しようと思います。

自由と束縛ってどっちが好きですか?

1人でいるのが最強の自由ですよね。でもそれだと寂しいのでどこかのコミュニティに所属したくなります。でも所属すれば、所属先のコミュニティのルールに縛られるので自由は減ってしまいます。

ルールの縛りが強ければ、会社的、学校的、部活的なものになります。ルールの縛りが弱ければサークル的なものになります。じゃあルールの縛りの強弱ってどれくらいにするべきなのか?と言われると、それはなかなか難しい話です。

ルールの縛りが強ければ窮屈にはなりますが、なにか問題が起こった時には自分が引き受ける責任は少なくてすみます。(大企業とか官僚とかの上の人って、責任を取らないことがお上手ですよね)

ルールの縛りが弱ければ自由を与えられますが、なにか問題が起こった時には自分が引き受ける責任が強くなります。

そんな話をしていこうと思います。

で、今回もオープンチャットメンバーの強制退会に関連した話です。

話がややこしくなるので、まず先にグループ分けをしていきます。

グループ1:強制退会に選ばれた人たち
グループ2:AさんBさん
グループ3:強制退会には選ばれなかった人たち

グループ1、3はどちらもAさんBさんに招待されてオープンチャットに入った人たちです。

経緯というか、流れを簡単に説明しますと、オープンチャットで返事をしないグループ1の人たちを強制退会させたら、それに怒ったAさんBさんが自主退会し、それに続けてグループ3も自主退会した、という流れです。

まぁ普通に考えると、全員がAさんBさんの知り合いなんだから、AさんBさんがいなくなれば全員いなくなりますよね。

当たり前っちゃ当たり前。普通っちゃ普通。

でもここで気になる点がありまして、そこにはすごく会社的というか学校的というか部活的なにおいが漂っている気がしました。

会社/学校/部活、というのはトップダウンの方式です。つまり、部下は上司に従い、生徒は先生に従い、後輩は先輩に従います。コミュニティの下側に位置する人たちは、自主性を求められません。むしろ邪魔です。

トップダウンなコミュニティでは、部下の失敗は上司が、生徒の失敗は先生が、後輩の失敗は先輩が基本的には責任を取ることになっています。上司も先生も先輩も責任なんか取りたくないので、ルールをきつくし、自主性をなくしていきます。そうなるとどんどん窮屈になってつまらなくなっていきます。(スーパーブラックなところだと、自由を与えられなければ、責任は取らされるという過酷極まりない組織になってたりもしますけど)

その窮屈さが嫌な人は、サークルみたいなゆるふわコミュニティを求めます。「従うだけなのは嫌だ!もっと自由がいいんや!」と。

ザキオカバドミントンサークルは名前にも書いてある通りサークルです。上司もいないし部下もいません。先生も生徒もいません。先輩も後輩もいません。

サークルはトップダウンではなく、各自の自主性が求められます。ルールに違反しなければなにをやるのも自由。でも、自分でやったことには責任を持ってね、という暗黙のルールみたいなものがあります。

では今回のケースで考えてみましょう。

AさんBさんが連れてきた返事をしない人たちを見て、私はこう思いました(正確にいうと、そー○が「こんな人たちがいるんだけど、どう思う?」と相談してきたので、オープンチャットを見てみました)。

「なんでこんなやつらを連れてきたんや?」と。そしてこうも思っていました。「なんで返事しないことに注意しないの?あなたたちが連れてきたんだよね?」と。

しばらく待ってみましたが改善の兆候が見られません。ふーむ、どうしたものか。

ここが会社で、私が人事部部長で、AさんBさんの上司であれば、「おい?なんでこんな返事もできねーやつらを採用してんだよ?お前らが採用したんだから、きっちり教育しとけよ!」と詰め寄ります。言い方を変えれば、AさんBさんに責任を取らせます。

でもここはトップダウンな会社ではなく、ゆるふわなサークルです。各人の自主性が求められます。そして各人が行動の結果の責任を負わなければなりません。

グループ1の人たちはAさんBさんに招待されただけと言っても、「そのサークルのオープンチャットに入る」という選択は最後は自分でしたはずです。そうであるならば、それ相応の責任が発生します。

ですから、グループ1の返事をしないという選択をした人たちを強制退会させました。返事をしないという自由の代償です。(「強制退会させなくても…」と思う人は、次の記事を読んでみてからまた反論などをしてくださればと思います>悪意なきサークルクラッシャーのケーススタディ

そうしたらAさんBさんが怒りました。「なんの注意もなく強制退会させるなんて不躾だ!失礼だ!」というように。

おいおい、こちら側が注意しないとダメなのか。「ちゃんと返事をしようね⭐︎」って?ここは小学校だったっけ?いい歳こいた人が、いい歳こいた人に「ちゃんと返事しようね♫じゃないと激おこだお😠」をしないといけないのか?まじか。まじなのか。嫌だよ。彼らも返事をしないことがどうなることかって分かってるよ(そうであってほしい)。彼らの返事をしないという選択を支持してやろうよ。こんなサークルに行きたくなかったんだよ。

で、ここでポイントになってくるのが、私は返事をしなかったグループ1の人たちだけを強制退会させたわけで、返事ができていたグループ2、グループ3は強制退会させてはいない点です。言い換えれば、このサークルに残る選択を与えていました。十中八九出ていくだろうけど、どうなるのかなーと。

案の定、グループ2は出ていきました。グループ3も続けて出ていきました。

まぁそうなるわな。自分達を招待してくれたAさんBさんが出ていったのに、自分達が残ってたら変な関係性になっちゃうもんな。それを避けようとするわな。

でもその行動は私に、会社的、学校的、部活的だという印象を与えました。AさんBさんに従うのだな、と。返事もできない人たちを連れてきて、返事をしないことに注意もしない人たちに従うのだな、と。対等な関係ではないんだな、と。

社会人サークル的なものに参加しようとしている方/参加している方の多くは、会社以外の別のコミュニティを探している方だと思うんですよ。もっとはっきり言えば、会社的なトップダウンのなかではいい人間関係を築けなかったからこそ、社会人サークル的なところでゆるふわな人間関係を求めていると思うんです。

では、会社的なトップダウンではないゆるふわサークルを求めた結果どうなったかというと、残念ながら一部の人たちはサークルの中でも結局は会社的なトップダウンに従っちゃうんです。ようは、金魚の糞みたいに、自分より順位が上の人に付き従うわけです。

これって興味深いことだなーと思います。サークルというゆるふわな響きの中で、会社と同じトップダウン方式に無意識のうちに従ってる感じ。義務教育で自分より上位の人に従うよう洗脳された感というか、家畜感というか、古より刻み込まれたDNAに従うしかない感じが、私たち人間の弱さというべきものをあらわしていると思います。

さてさて、ここまで読んでくれた超少数の人に質問があります。グループ1、グループ2、グループ3のなかで、『サークル的(自主性強め、自由大きめ、その代わり責任も強め)』という観点からするともっとも適した行動をしているグループってどこだと思いますか?

グループ1だと私は思います。

彼らは「ワイ、このサークルの雰囲気合わないわ⭐︎めんどくせーから無視しとこ!」と、自分の意思を表明しています。人間的な観点からいうと、「いやー返事くらいしようぜ」と思いたくもなりますが、サークル的な観点からすると間違いではありません。行動に対しての責任を自分で引き受けられるのであれば、「無視する」というのも全然構いません。(人間的な観点から付け加えると、招待したAさんBさんの顔を立てるためにも、返事くらいはしようぜとは思いますけどね)

そしてその結果、強制退会をさせられました。仕方がないことだと思います。「無視する」という行動の結果を受け入れてください。

んで、サークル的な観点から言うと、疑問になってくるのがグループ2のAさんBさんの行動です。

グループ1の人たちもいい大人です。大人が「無視する」という行動をとっていたわけです。つまり、「こんなサークルにはいきたくないでござる」という意思表明をしていたわけです。そしてその結果、強制退会させられました。

これに対してAさんBさんは怒っています。

私はこう思います。グループ1の人たちの考えを尊重したら?と。

会社でも学校でも部活でもないこのゆるふわ空間の中で、なぜグループ1の人たちをかばってまで怒り出す必要があるのでしょうか?(もちろん自分の身内が強制退会させられたらいい気分はしないってことは分かります)

ここに関して少し正当性がないように私には見えます。怒るのであれば、「返事をしない」という自由を与えるべきではありませんでした。注意をするべきでした。「返事をしない自由」を与えたのであれば、その自由を行使したグループ1の人たちは自分達で責任を負わねばなりません。そこにグループ2のAさんBさんがどうこういいだすのは、あまりにも過保護すぎると思うのです。

最後に、グループ3の人たちは、もっとも『サークル的』ではないのかなと感じてしまいました。いい意味で言えば衝突を避けようとする人当たりがいい人、悪く言えば心の中では違うと思っていても上位の人に付き従ってしまう人。

ここはサークルなのでもっと自由にすればいいのにな。グループ3の人ってたぶん会社とかでも結構神経をすり減らせていると思うんですよ。ですからサークルくらいでは、あんまり神経を使わずに自主性を解放させてみてもいいんじゃないかなーと。

こちらのサークルに残ってほしいわけではありませんが、『残る』という選択肢が彼らにあったのかが気になるところです。ないのであれば、サークル的ではないなぁと。(まぁ有無も言わさず強制退会をするサークルなんて、速攻抜けたくなるか)

人が集まるところは必ず自由と束縛の狭間で揺れ動きます。束縛が強く自由が弱ければ会社的に、束縛が弱く自由が強ければサークル的に。人によってちょうどいい環境は異なるでしょう。

強制退会をする直前までは傍観者としてサークルのオープンチャットを覗いていた私としては、サークルを求めている人もいれば、サークルという名を借りた会社的/学校的/部活的なものを求めている人もいるんだなぁという大きな発見がありました。

ワイがオープンチャットの管理者である限り、自由強めでいきます!ちなみにワイ、もともと管理者ではありませんでした。管理者に任命してくれた人は、AさんBさんの片方です笑。

ばいちゃ!

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