「なんで相談しなかったの?」という連絡へのアンサー

ありがたいことにこの前の件について連絡がありまして、その連絡の内容をざっくり2つにまとめると、

  1. なんで前もって話し合いをしなかったの?
  2. なんでブログにそんなこと書いてんの?

の2つです。

もっともらしい疑問ですよね。

今回は『相談しなかった理由』について書いていこうかと思います。

問題が起こった時、話し合いをする、相談をするというのは常套手段です。

私はこれを「話し合い信仰」というか「相談信仰」というか、まぁそんなものだと思っていまして、話し合いとか相談がいい方向に導いてくれるかというと決してそんなことはないと思っています。場合によっては話し合いとか相談をすることで、さらに溝が深まると思っています。

(「話し合い」と「相談」を別々に入力するのがめんどくさいので、これ以降はこの2つを「相談」の1つにまとめます。ニュアンスの違いがあるかもしれませんが、そこは許してちょ)

たとえば、「友達とのキャンプ旅行」とか「仕事のプロジェクトの進め方」とかは相談する意味があると思います。というか、相談した方がいいです。相談することで、みなの考えの方向性をまとめることができるからです。

上記の例でなぜ相談が有効なのかというと、『人間性にあまり関与していないから』だと思います。自分の意見に対して「それよりこっちの方が良くね?」とか言われたとしてもそこまで腹は立ちませんし、人間性にあまり関与していない分、みなの発言がしやすいということもあります。

でも今回のサークルのケースでは人間性に深く根ざしていました。

私は3つの疑問をもっていました。

  • なぜ予定の返事をしないのか?
  • なぜ返事をしない人たちを連れてきた人は、返事をしないことに注意しないのか?
  • なぜ連れてこられた人たちは、連れてきてくれた人たちの顔を立てようとしないのか?

今回のケースで相談しようとすると、人間性に触れるしかありません。

人間性に触れた相談というのは、ほとんどの場合においてうまくいきません。感情論になってしまうのですよね。「オレは悪くない!」「オマエが悪い!」などなど。

だから私は相談するということをしませんでした。相談することでさらに溝が深まることを避けたかったのです。(私が、というよりは、そー○に「やるだけマイナスになる可能性の方が高いよ」と伝えた)

また相談するということは、多くの人を巻き込むということでもあります。私の考えに共感する人たち、私の考えに共感しない人たちの争いを生む可能性を孕んでいます。これが最も避けるべきことでしょう。

「相談する」というのはとても聞こえがいいものなのですが、それは責任を分散させるということであり、ようは「ワシだけで決めてないもん!だからこの結果がどうなろうとワシだけが悪いんじゃないんだからね!」という自己防衛の意味合いのほうが大きいような気がしています。

とまぁそんなことを考えながら、今回のケースでは相談せずにバシッと決めることが、このサークルにとって最適解なのだと判断しました。

もちろんこれは人によって答えは変わると思います。「ワシならこうするよ!」みたいなのがあれば、連絡をいただけると嬉しいです。

ちなみに、「みんなの話を聞くよー!」みたいなことを言っている今の日本の総理は、「先送り総理」という輝かしい愛称を付けられたりしていますし、円安をガンガンに加速させ日本の価値を相対的に低くさせていることで有名ですね。「ワシはみんなの意見を聞いてから決断するよ!」ってのはできるかもしれないけれど、超絶難しいんすわな。

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